監督:ジョナサン・モストウ
妙な味わいの一品で、ニタニタしながら劇場を後にしました。
どこが妙かというと、上映時間89分のはずが体感時間120分以上。なんかダラダラと長いんです。メリハリに欠けるというか。
googleで「サロゲート」を検索すると一応公式サイトがトップに来るんですが、その下にはこういった文字が並んでいます。
ファミ通「フサフサのブルース・ウィリスも大活躍!」
ハリウッドチャンネル「ヅラ? 植毛? 地毛? ハリウッドのヘア事情」
wired vision「ロボット学者・石黒浩教授インタビュー」
47NEWS「“アバター競作”でみせたジョナサン・モストウ監督の腕」
フサフサがキーワードで、アバターみたいな石黒教授の映画?……当たらずといえども遠からず。
近未来、自らの身体を自宅のベッドの上に置いたまま、自分好みのアバターで外出し、働き、遊ぶことができる世の中になっているのがこの映画の舞台です。そのアバターのことを「サロゲート」と名付けています。
これは私にはあまり魅力的ではありませんでした。『アバター』では、大気の質が異なる中で人類が活動し新資源を得る(奪う)ためにその土地に適した肉体を作り出した、と設定していたのに対し、『サロゲート』の目的は1990年代の「マトリクス」的な理想に収まっているでしょう。その先の予感としては『WALL*E』で描かれた宇宙船内にぶよぶよと漂う人類の姿しかありません。
劇中、初めて犠牲となるサロゲート美女の持ち主がハゲデブオヤジであるところを見せたのは何とも皮肉で、モストウ監督の眼差しから「人間の身体性と精神性」をも描こうとする意志が感じられますが、語り口があまりにも率直なため、私は特別な感慨を持てぬまま、そこに映っている物体のマテリアルだとかターミネーター的な対立(生身vs機械)ばかりに注目し、だいたいラストの予想もできてしまう安心感の中に身を置いてしまっていたと感じます。
この物語の底にある、夫婦間にできた断絶(子どもを交通事故で失ったことを悔いている)と、ジェームズ・クロムウェルの苦悩(サロゲート発明者かつ息子を亡くした父としての)を丁寧にクロスさせればドラマはもっと盛り上がったのではないでしょうか。この博士は足が悪く歩けない(『アバター』でいうと、サム・ワーシントンと同じ)設定です。彼が「サロゲートが人類のために役立つことを祈っていた」と語るところは切実で「ロボットの行方とはなんだろうか?」とちらり頭をかすめたものの、ハゲをごまかす姿とか、スリムな自分を演出とか、ヤクを決めてハイになる疑似体験とか、なんかそういうのは私にとってはどうでもいいというか、冷笑してしまうばかりで20世紀に戻ってんじゃねーよ、と冷めた目で見てしまったのでした。
まとめ方自体は予定調和に収まり、後味が悪いものではありません。髪の毛フサフサのブルース・ウィリスも面白いし、楽しく見ることができましたが、映画の中で肉体的な欠損もないのに趣味(見栄)でサロゲートを使っていたヤツらは全員死亡でもよかったのにとか、黒い気持ちにもなってしまいました。
にやけてしまったのは、予言者オヤジ(ヴィング・レイムズ)。手つきに笑ってしまった。外科医みたいなの(「鷹の爪」の逆)。あんなのが生身代表だとしたら、それはそれでイヤかもー。